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ゼミも音響構成も寝坊せずに行ったよ!やったね!

僕にとっては偉大なる一歩なのです。岸上です。





今日はギターをメンテナンスに出そう!と思ったんですが、お店閉まってました。あらあら。
定休日は水曜って聞いてたので謎です。明日もっかい行ってみます。


そして本日、初給与明細をいただきました!(おぉ~) リッチマンの予感ですね。
CD&DVD代、ギターメンテナンス代で半分以上消える気がします。いぇいいぇい!


あとは…、そうですね。ダムドが熱いです。マイブーム。New Rose。





スーパーどうでもいい話のオンパレードをお送りしました。
ケータイからなのでパケット代が心配です。とっても心配です。


ではまた☆

拍手[19回]

岸上直樹の"関西パンク伝説"



第2回:変身キリン




岸上です。

えー、お待たせしました!変身キリンです!
誰も待ってなかったかもしれないけど気にしねぇぜ!




この人たちはですね~、いわゆるところの「パンク」(ピストルズとかクラッシュとかね)と思って聴くと、よくわかりません笑 少なくとも僕はそうでした。

んでまあ色々あって自分の中では一応の結論を得たのですが、それは一旦置いとくとして、どんな音楽なのか聴いてみましょう。
僕の一押し曲がなかったので、YouTubeに人生初アップです。へへ。


変身キリン「帽子」



・・・なんとも不思議系素敵サウンドですが、音楽にも歌詞にもパンクの精神が感じられねぇ!こんなのはパンクじゃねぇ!
と思ったそこのあなた!違うんすなーこれが!


そもそもパンクが政治的・社会的なメッセージを掲げだしたのはロンドン・パンクからでありまして、それ以前からじわじわがんばっとったニューヨーク・パンクのみなさんは社会の変革よりむしろ音楽の変革に重きを置いてがんばっていたわけで、ラモーンズなんかを見てみましても彼らは別に「アメリカの政治は腐ってる」みたいなことが言いたかったわけではなく、ただただ自分たちの等身大の新しいロックがしたかったわけでありまして、つまり何が言いたいかというと「変身キリンはニューヨーク・パンク的なパンクである」ということです。はい。これでみんなすっきりやね!
サウンド的にはVelvet Undergroundとかが近いのかなーと思います。文学的ですしねー。でももっと「うたもの」です。ノイズとかはやりません。




さて、そんな変身キリンなんですが、1979年、リーダー兼ギタボ兼全曲作詞作曲担当である本田久作さんというお方が、某バンド雑誌上でメンバー(Guitar,Keyboad,Bass,Violin,Dancer,絵描き)を募集します。めざす世界は、「宮沢賢治、稲垣足穂、ジェームス・ジョイス、世阿弥のようなRock Band」であったそうです。いいセンス。

その後幾度となくメンバーチェンジを繰り返しまして、時にはINUの北田昌宏さん(Gt)、西川成子さん(Ba)が参加したこともあったそうなんですが、変わらなかった主要メンバーとしましては、本田さんと須山公美子さん(Vo,Key)を知っておくといいでしょう。↑の曲では控えめですが、彼女のボーカル、キーボードが変身キリンのサウンドに与えた影響は大きいです。

そんなこんなで1982年2月、自主製作EP「8月4日に」がリリースされます。「帽子」もこれに入ってる曲です。順調っすねー。
(このEP+未発表スタジオ録音+ライブ音源(1981.07.25@京都フレンチマーケット)がのちにCD「変身キリン」となります。)




がしかし!1982年11月のライブを最後に、本田久作さん、一人で東京行っちゃいます!やべぇ!

んでまあ事実上解散となってしまいまして、本田さんは演劇の勉強したりなんやかんややるそうなんですが、そのうちブルースを聴き始めたりして、ロバジョンとかハウンド・ドッグ・テイラーとかいいよねー、とか言いつつブルースギターとブルースハープを猛練習しちゃいまして、1986年、よっしゃ!新バンドやるぞー!名前どうしよっかな~と思ったら、企画されたライブの名前が「変身キリン復活祭」だったので、「ほなまあ変身キリンでええかー。」てな流れで、以前とは全く違うブルース色の濃い新生・変身キリンが誕生しちゃいます!うそーん!ややこしっ!

このころのデモ音源+ライブ音源がのちにCD「その後の変身キリン」となります。あまりの変わりっぷりにびっくりですが、ギターうめぇ!ハープうめぇ!なのは確かです。


NEW変身キリンは東京、大阪、京都での3回のライブを終えるとその後自然消滅しちゃいまして、本田さんは音楽の世界から身を引かれます。残念っすね。





そんな変身キリンでした。ふとした瞬間に歌を思い出しちゃうバンドです。
きわものぞろいの関西パンク勢の中でのこのスタイルは非常に安心感があるといいますか、変身キリンがいることでバランスがとれてたみたいなとこはあると思います。想像ですが。



んー、削りに削りましたがやっぱり情報量多すぎな気がしますね。すみません。

そう言いながらさらに情報を足しちゃいますが、須山久美子さんは今でも音楽をされておりまして、本田久作さんはなんと落語作家になってるとか!なにー!
町田康さんも落語・浪花節・時代劇なんかがお好きだそうで、なんでしょうね、この人らの古典芸能趣味・・・・・・すてきです笑


http://www.radiodays.jp/radiodays-blog/mrd/?cat=5に飛んでみると、落語作家:本田久作の熱い落語論が読めます。落語聞いてみよっかな~

(END)

拍手[19回]

岸上直樹の"関西パンク伝説"


第1回:INU





ふと気付いたら昼夜逆転していました。岸上です。



さあ、今日から本格始動の新企画、「岸上直樹の"関西パンク伝説"」!
記念すべき第1回は「INU」です!いやっほーぅ!

おそらく初期関西パンク勢の中でもっともストレートにパンクしていたバンドです。それでもひねくれてますが笑
ジャパニーズパンクはひねくれがちです。覚えておきましょう。



<INUひすとりゐ>
1977年、大阪の高校生:町田町蔵が中心となり、バンド「腐れおめこ」を結成。Chuck Berry、The Rolling Stonesなどのカバーやオリジナル曲をレパートリーとする。
(「腐れおめこ」時代のライブ音源がニコ動にあったよ!さがしてみよう!)

1978年、町田少年、Sex Pistolsと出会う。ずっきゅん。

1979年1月、INU結成。メンバーほぼいっしょ。しかしパンク。
このころのライブ音源が後(1984年)にLP化される。タイトルは「牛若丸なめとったらどついたるぞ!」。CD化しやがれCD化してくださいお願いします。

1979年4月、ギター&ベースちぇんじ。ベースは西川成子さんに!(おぉ~)

その後もドラムがチェンジしたりしつつ、
1979年8月、ギターが北田昌宏さんに!(おぉ~)
こっからが黄金期。メジャーデビュー、1st録音もこのメンバー。

1981年3月、1stアルバム「メシ喰うな」リリース。

1981年8月解散。理由はよくわからぬ。




・・・・・・町田町蔵て。名前かっこよすぎでしょ。でも実物はもっとかっこえぇのです。へへ。
西川さんは黙々とベースを弾かれる方でなんともせくすぃー。北田さんはギターめっちゃうまいんですが何ですかこの暴れ馬感!すてきです。
動く彼らを見たい人はYouTubeでさがしてみてね!





<聴いてみようのコ~ナ~>
ライブ@関西学院大学(1980.11.04)
2曲続けて聴いてみよう!

「フェイド・アウト」


「おっさんとおばはん」


はい!これで君もTO・RI・KO!
全編聴きたい人はニコ動をあさってみよう!たぶんあるよ!

ちなみに僕が初めて聴いたINUもこれだったわけで、「かっけー!CD買わなきゃCD!」ってなわけで、CD(メシ喰うな)買って聴いてみたら、「あっれぇ~?」「なんか80年代ポップスや~ん」ってなっちゃいましたが、今となっては「まぁこれはこれでオッケーかな」などとわけのわからないことを述べているので、まぁ物は試しで買ってみてもいいんじゃないでしょうか。うん。・・・・・・おすすめ!超おすすめ!
あとはライブ音源を探すのだ!うりゃー!





<つらつら>
この勢い!あぁ、パンクってええっすな~と思わずにはいられませんね。
町田町蔵の詞もセンス爆発です。パンクよろしく色々なものへの「反」がこめられていたりいなかったりするのですが、なんかちょっとおもろいのです。ふふ。
そうやなー君は文章書いてみたらどうや。あ、もう書いてるんすかすみません。

そんなわけでいまや人気?作家の町田町蔵(町田康)さんですが、他の方々はといいますと、西川さんは京都の学習塾で先生をされているとかいう噂で、北田さんに至っては現在地不明です!行方不明です!いや行方不明かどうかは知りませんが、情報ゼロです!なんなんすかもう・・・・・・すごいな笑

てなわけで生き様もパンクなINUのみなさんでした! あこがれるわぁ~

(END)

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