[INFORMATION]
プロフィール
HN:
The Hoochie-Coochies
年齢:
16
性別:
非公開
誕生日:
2008/12/08
職業:
バンドマン
趣味:
ごはん
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じゃーんじゃーんじゃじゃじゃじゃん 今回からはポッターの写真もまじえつつ書いていきます。 野口氏と久田氏のテクニックを比較しながら見ていくのもなかなかおもしろいかもしれません。うん。 で、その、向かう途中です。高千穂に。 どこからともなくファンファーレが聞こえてきて、興奮を抑えきれずにポッターが 「見るもん、見るもん、競馬見るもん」 とだだをこねだしました。 「やれやれ」 始まったか、禁断症状。仕方なく我々は車をたまたま通りかかったツタヤにとめ、カーナビで天皇賞春を観戦しました。 予想は悉くはずれ。 するとぽったーがなにやらつぶやきだした。 くそや くそや くそや 「やれやれ」 また高千穂に向かって走り出したわけです。 すると今度はきよちゃんが急に 「まがるもん、まがるもん、右に曲がるもん」 と言い出したので、何事かと思いながら進んでいくと、何もなかったのか 「帰る」 と言い出したのできた道を引き返していたのですが、そうすると前方に旗が。 なにやら旭日旗のように見える。 いや、あれは海軍の「軍艦旗」だ!!! 高千穂のことはすっかり忘れて早速向かいました。 軍艦旗を見てテンションの上がらない男はいないでしょう。 いや、 いました そんなことより目を引くのはこの石碑 日本海軍発祥之地 すげーーーーーーーー よくわからんがすげーーーー となって説明を見てみる。 ふむふむ 「日本海軍は、天皇が統帥(とうすい)された海軍でありました。 このことから国が、神武天皇御親率の水軍が、はじめて編成され、進発した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、紀元2600年記念事業の一環として建立されました。 碑文の文字は、時の内閣総理大臣海軍大将米内光政閣下の揮毫(きごう)により、碑面に刻記されたのであります。 この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されましたが、昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁(現 防衛省)(海上自衛隊)などの協力を得て、現在のとおり復元されたのであります。」 なんとここから神武天皇の東征が始まったのだと。 日本のすべてはここから始まったのだと。 ※神武天皇 庚午年1月1日(紀元前711年2月13日?)~ 神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日?))は、日本神話に登場する人物で、日本の初代天皇である(古事記、日本書紀による)。日本書紀によると、在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日(紀元前660年2月18日?)~ 神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日?)。(Wikipediaより) これまたワクワクしますね。ドキドキしますね。 テンションあがります。 隣には立磐神社というのがありました。立ち寄ったときにはよくわかってませんでしたがしっかり参拝してきました。 ※立磐神社 当社は神武天皇御東遷のとき美々津港より御船出し給うに当たり、御航海の安全を御祈念せられて、この埠頭に住吉大神とも申し奉る底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱の大神を奉斎し給うたとて、第12代景行天皇の御代に創祀されたものである。(ようこそ宮崎より) ここには こんなのもありました。(これポッター撮影。以後略してポッ撮) 最後に記念撮影 うわーいいとこいっちゃったー。これにはきよちゃんに感謝せざるを得ません。 ちなみにここは美々津というところです。町並みも素敵でしたよ。宮崎に行く時はぜひ立ち寄ってみてください。 あとはもうほんとに高千穂をめざします。 というわけで高千穂到着 まずは高千穂温泉で身体を清めます。 (ポッ撮) といったところで今回はお開き。また次回のお楽しみ。次回は高千穂満喫編をお送りする予定でございます。 Post your Comment |